■ 昭和の天才歌姫=美空ひばり=さんから見る、「運命の羅針盤」
故人でありますが、昭和の天才歌姫、美空ひばりさんをご存知でしょうか?
ご存知でしょうか、といっておりますが、私自身もそれほど詳しい大ファンという訳ではないのですが。
彼女がお亡くなりなったのが52歳でした。
美空ひばりさんの詳細、プロフィールにつきましては割愛させていただきますが、戦後間もない時代に12歳でレコードデビュー、映画主演。以降様々なヒット曲、映画出演があります。
彼女のデビューと芸能活動にとって最も重要な存在は「一卵性親子」とよばれた、ひばりさんのお母さんでした。
当時6歳のひばりさんの才能を見抜き、彼女の表現の場を作るためにマネージメントをし続け、一生を捧げたようにもみえます。
■ 33歳 芸能活動25周年
8歳でデビューしておりますから、33歳の時点ではもう、芸能活動25周年。
現在のSMAPの活動期間と同じです。
芸能界の大御所になっていました。
当時のNHK紅白歌合戦は歌手にとって出場すること自体が名誉でした。
美空ひばりさんは、33歳の時に紅白史上初の紅組司会と大トリ(最後の演者)を担当しています。
33歳は現在の舞台に新たな舞台を与えられる時。
ひばりさんも、歌手の代表格と、司会という新たな舞台を用意された訳です。
■ それまでの生き方を見直す時間の与えられた、42歳の転機
ひばりさんの42歳の年表には、特に大きな動きはないようにみえます。
しかし、40歳から44歳までに大きな価値観の転換が起こっています。
それは、一卵性親子といわれていたひばりさんのお母さんの闘病、退院、再入院、そして死別というタイミングにあたります。
6歳の時から、40歳になるまで、ずっと自分のそばにいた母親。母親であり、仕事上の最も信頼できるパートナー。
通常の親子以上の絆があった二人ですから、死別した際の喪失感は相当なものだったようです。
この、悲しみと喪失感はここでストップすることがありませんでした。
ひばりさんの弟さん二人がそれぞれ42歳で亡くなるのです。奇しくも42歳なのです。
ひばりさんの私生活は荒れてしまったようです。
孤独と死の恐怖をまぎらわせるためためでしょうか…。
■ 物語は52歳で・・・・・・・
そして、ご自身も、50歳で病に倒れ、51歳で復帰しますが、52歳で永眠されるのです。
本来であれば、ご褒美となる52歳。
8歳の時から伝説の歌姫として休みなく時代を駆け抜け続けた、ひばりさん。
愛する家族のもとへ向かうご褒美だったのかも知れません。
ご冥福をお祈りいたします。
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